「保険は冒険から生まれた。」

最近の東京海上日動火災保険のCMで流れるフレーズ「保険は冒険から生まれた。」。
見たり聞いたりされた方も多いと思います。

このフレーズ、実はほんとうのことなんです。

貿易運送リスクを回避するために掛ける保険は「外航貨物保険」とか「海上貨物保険」などと呼ばれます(以下、貨物保険と称します)。
その起源は古代ギリシャ・ローマ時代から中世にかけて行われた「冒険貸借」と呼ばれるものであるというのが定説です。

当時は今より航海技術が低く、リスクが格段に高かったため、貿易はまさに冒険でした。
そのリスクを回避するものとして編み出されたのが冒険貸借です。
仕組みは、こうです。
船主・荷主(以下、貿易業者)は船や積み荷を担保に金融業者(資本家)から借金して貿易に乗り出す。
無事に帰港できれば、貿易業者は金融業者に利息を付けて返済する。
海難事故で船や積み荷が失われれることになれば、返済しなくて済むというものです。
当時、貿易は莫大な利益を生むものだったので、利息は20~30%以上だったと言われます。
金銭貸借と資金提供者の全面的なリスク負担の組み合わせという意味では、現代のベンチャーキャピタル型投資の考え方に近いかもしれません。

ところが、この冒険貸借のシステムは、13世紀にキリスト教によって禁止されます。
高い利息が暴利とみなされ、「汝の隣人を愛する」教義にそぐわないという理由です。
しかし、そんなことでめげないのが商売人という生き物です。
冒険貸借はその形を変えていきました。

例えば、貸借関係を逆にするタイプ。
この場合、資本家が貿易業者から借金をしたように仮装(実際にはお金は動かない)します。
無事に帰港した場合には、資本家は貿易業者への借金返済が免除されます。
海難事故に遭って損害が出た場合には、資本家は貿易業者に借金を返済しなければなりません。
以前の冒険貸借では、資本家には無事に寄港した貿易業者から借金が返済されるに逃げられる可能性がありましたが、この方式ではその心配がなくなり、資本家側に投資リスクがなくなりました。
つまり、投資的な金銭貸借と危険負担の分離が行われたと見てもいいでしょう。

また、商品売買を仮装するタイプもありました。
この場合、資本家が「貿易業者が貿易する商品を買い入れる」という仮装契約を結びます。
無事に帰港した場合には、売買契約をキャンセルされ、資本家から貿易業者への支払いはおこなわれません。
海難事故に遭って損害が出た場合には、商品は引渡されなくとも、元の契約どおりに、資本家は貿易業者に支払いを行わなければなりません。
つまり、「損害を受けた貨物に対して、代金を支払う」という考え方が生まれたと言ってもいいでしょう。

さらに変化していき、次第に現在のような海上保険契約の原型へと変化していきました。
貿易業者から資本家に危険負担料を前払いするようになりました。
現在の保険料の原型ですね。
損害発生時に、貿易業者は資本家に船舶や積み荷を「買い取ってもらう」ことになりました。
こちらは、現在の保険金の支払いと引き換えに、保険会社に貨物の権利を譲渡するやりかたの原型です。

一方、資本家、既に保険引受者と言ってもよいでしょうが、彼らと貿易業者が出会えなければ、このシステムは機能しません。
つまり、マッチングの場が必要になってくるわけですが、14世紀にはフランドル地方でそういう機能を果たす「海上保険取引所」が生まれていたそうです。
こういった貨物保険のルーツともいえる証書としては、14世紀中頃にイタリアのジェノバやピサで作成された海上保険証券が残っており、また、ルールについては15世紀前半には、現代の海上保険法の母法ともいわれる「バルセロナ法」が生まれています。

登場する地名を見ると、当時貿易が盛んに行われた地域、つまりイタリアを中心とした地中海エリア、ハンザ同盟を中心とした北海エリアで貨物保険の仕組みが発達してきていることがわかりますね。

「保険は冒険から生まれた」というフレーズ、伊達やとんちではないということがおわかりいただけたでしょうか。(I)

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