トルコビジネスをする人の必須知識

先日、トルコ軍艦が東京に寄港しました。
「トルコ軍艦が東京寄港 「友好の礎」125年で」(産経新聞 6月5日)

はるか遠くのトルコからわざわざ日本に来訪した理由は、125年前にさかのぼります。

明治23年(1890年)の9月のことです。
和歌山県串本沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が台風のために遭難、座礁・沈没する事故が起こりました。
そのとき、海に投げされた乗員を、現在の串本町近辺の人々が総出で救助と生存者の介抱に当たり、また、その惨事を悼んだ多くの日本人から義捐金や寄付金が寄せられました。
結局、トルコ本国に生還できたのは乗員のうち1割ほどでしたが、この件はトルコの人々が日本人に好印象を抱くきっかけになりました。
トルコが日本や日本人に親近感を持っている理由としてよく言われるのは、「トルコはロシアに歴史的に反感を持っていて、日露戦争でロシアに勝った日本を友好国と考えている。」という話です。
しかし、「エルトゥールル号遭難事件」と呼ばれるこの件も、トルコと日本の友好関係に大きな影響を与えているのは間違いありません。

この件が、後に日本人の生命を救ったというエピソードもあります。
それは、イラン・イラク戦争中の1985年、当時のフセイン・イラク大統領が、イラン上空を飛ぶ航空機への無差別攻撃を宣言したときのことです。
イラン在留の外国人は、無差別攻撃開始期限前に各々の国の軍用機や旅客機で救出されましたが、日本人は、自衛隊の航空機は戦地への海外派遣ができないし、日本の民間航空会社は安全が確保できないことを理由に臨時便を出すことを拒否するしで、イランから出ることができずに孤立していました。
そのとき、 トルコ政府はエルトゥールル号遭難事件の恩返しとばかりに、トルコ航空に日本人救出を要請、期限ギリギリの危険な時期にフライトを出してくれたトルコ航空のおかげで、在留日本人215人はからくもイランから脱出できたのです。
トルコ航空は陸路で避難できる自国民よりも、日本人を優先搭乗させたという話もあります。
(このエピソードは、小説「海の翼」(秋月達郎・著)に詳しく出ています。面白いので一度お読みになるといいでしょう。)

これらのエピソード、とくにエルトゥールル号遭難事件は、今でもトルコ人が公式な場で日本-トルコ間の友好関係を示そうとする際には引合いに出すことが珍しくないそうです。
あるところによる調査では、トルコ人にエルトゥールル号遭難とトルコ航空による邦人救出劇についてどれぐらい知っているかの調査をしたところ、前者は72%、後者は56%の人が知っていると答えたそうです。
どちらもトルコでは認知度がすごく高いエピソードなんですね。

トルコビジネスを行う方は、先方からこれらのエピソードを出されたときに「なんのこと???」なんて状況にならないよう、本件についてあらかじめ知識を持っておくと良いでしょう。(I)