飯盛山は歴史マニアにおススメ

先週末、あまりもの好天に誘われて、生駒山系の低山、飯盛山(標高314 m)にトレーニングを兼ねた軽登山。
あまり知られた山ではないが、野崎から四条畷に抜けるコースには史跡が多くあり、ぶらぶら散策するのにちょうどよいエリアだ。
 
スタートは野崎観音として知られる慈眼寺からで、もちろん今は屋形船ではなくJR野崎駅が最寄。
寺の横手から登山道に入るが、地元の人が多く歩くのか、よく整備されている。
今はまだ花の季節ではなく、ヤマモモが少し咲いている程度だが、ウグイスが騒がしく囀り始めていた。
道中には大阪城築城時に石垣用に切り出されたものの、運ばれなかった「残念石」が点在していたり、この山一帯に築かれていた大規模な山城、飯盛山城跡やその付城跡がいくつもある。
山城では珍しい石垣があることで、城跡は国の史跡に指定されているそうだ。
 
ものの1.5時間で、飯盛山城の本曲輪があった山頂部に到着。
山頂標識は控え目だが、西方に開けており、大阪平野から大阪湾方面が一望。
惜しむらくは、春霞であまり遠くまで見えなかったことか。
視界が良ければ六甲山方面までよく見えるらしいが。
 
控え目な山頂標識とは対照に、大きな楠木正行の銅像が建っている。
このあたりは南北朝騒乱で、楠木正行が戦死した「四条畷の合戦」の舞台だからだ。
昭和13年建立とあったが、よく太平洋戦争中の金属供出に出されなかったものだ。
南朝の忠臣ということで免れたのだろうか?
太平洋戦争といえば、この山頂には小さく簡素なコンクリートの小屋があるが、表示を見ると戦時中の防空監視哨だったものらしい。
ここの真西は大阪中心部で、270度の視界が開けるので設けられたのだろうが、300mそこそこの標高で、高空を飛来する米軍機を有効に発見できたのかどうかはわからない。
しかし、大阪大空襲をはじめとして度重なる空襲の惨状がはっきり見えたのは間違いない。
それを見ることとなった監視員の心の内はどのようなものだったのだろう。
 
飯盛山の登山道や稜線には、ところどころちょっと開けた場所があり、休憩をとりやすい。
これらは飯盛山城の曲輪だったところが多いようだ。
この城の主で一番有名なのは戦国武将にして、信長よりも畿内を制圧したために「最初の天下人」とも称される三好長慶。
畿内への号令もこの飯盛山城から行ったそうで、大東市ではヒーロー扱い。
また、昨年は生誕500年の年だったらしく、野崎の街中から登山道に至るまで幟が並んでいるほか、「三好長慶を大河ドラマに!」というスローガンもそこかしこに。
でもなぁ、三好長慶って謀略家扱いでいまいち戦国マニアには人気がないし、最後は信長の滅ぼされるのでドラマとしてスッキリと終われないのよなぁと思いながら歩いた。
 
全行程3時間ほど(休憩・昼食を含む)、それほどキツいところもないので、大阪から公共交通機関で手軽なハイキングをしたいという方にはおススメの山だった。
 
大東市のヒーロー

大東市のヒーロー

大阪城の残念石。ノミの跡がわかる。

大阪城の残念石。ノミの跡がわかる。

ヤマモモが咲いていた。

ヤマモモが咲いていた。

控え目すぎる山頂標識。

控え目すぎる山頂標識。

1ヶ所、ロープ場もあって、ちょっとしたアドベンチャー気分も味わえる。

1ヶ所、ロープ場もあって、ちょっとしたアドベンチャー気分も味わえる。