インド-バングラデシュ間で飛び地の交換

インドとバングラデシュの間で、長年の懸案となっていた国境線の画定について合意がなされたそうです。
国境付近の飛び地を交換して国境線を画定する形だとのこと。
インドとバングラデシュ 国境線画定で合意」(NHK 6月7日)

この飛び地、両国で160ヶ所もあったというから驚きですが、それが武力ではなく話し合いで解決したというのは、実に結構なことです。

こういった「飛び地」は世界各地にけっこうあります。
日本国内では、良県と三重県に囲まれている和歌山県北山村が有名ですね。
飛び地が生まれるには歴史的な経緯があります。
・戦争で獲ったり獲られたりしているうちに一部だけ残ってしまった。
・民族的、経済的なつながりを重視して、離れたところに帰属することを選んだ。
・戦争の結果として割譲や租借を受けた。
・植民地だったところが独立する中で一部の街だけが旧宗主国に残った。
などが代表的です。

世界レベルで有名なところの例としては、地中海の入口でしょう。
北側のジブラルタルはスペインに囲まれていますが英国領ですし、南側のセウタとメリリャはモロッコに囲まれていますがスペイン領です。
また、面白い話としては、中国への返還前の香港は、それ自体が英国に租借された英国の飛び地だったわけですが、その中の九龍城砦は中国に残されたままという二重の飛び地でした。

こういった飛び地、貿易の面ではけっこう面倒だったりします。
例えば、飛び地にある港に輸入して陸揚げした貨物を、その後背にある国に持っていこうとする場合、飛び地に陸揚げをした時点で1回、飛び地から後背国に持ち込もうとする場合にもう1回関税を取られる可能性があるのです。

この状況の顕著な例が南米のボリビアとペルーにあります。
今は内陸国のボリビアですが、かつては太平洋に面しており、19世紀末の太平洋戦争(日本のものとは違います)で負けた結果、海への出口を失った国です。
そのため、長い間、ペルーとの間で海への出口確保のための交渉を続けていましたが、2010年にペルーとの間で「ペルー南部のイロ港の一部をボリビアが99年間管理する」という租借権を手に入れました。
(ペルー議会による承認は2013年)
こうなると、上記の例よりも複雑になり、イロ港(ボリビア)で通関、ペルー領に入るときにまた通関、さらにボリビア領に入るときにさらに通関となってしまうわけですね。
さすがにこれは面倒に過ぎるので、イロでボリビア政府による通関をした後は、ペルー領内を通過する際の通関を不要とする「フリーパス」制度の導入などを検討中のようですね。

また、同様な状況として、チリもペルーにアリカ港の租借権を与えて、アリカ港で陸揚げした貨物のチリ領内通過にフリーパスが与えられているらしいのですが、租借権まで与えているという情報の真偽を確認できませんでした。

なお、この飛び地の通関の逸話は日本にもあります。
戦前の話になりますが、かつて日本が中国から租借していた大連では、大連港で陸揚げした貨物を中国本土に持ち込む場合に備えて、大連港に中国の税関があったといいます。

こういう風に、飛び地の通関手続きというのはなかなか特徴的で、調べてみると面白いですよ。
(面白いと思った人は「飛び地」で検索してみて下さい。)(I)