今年の夏の高校野球は100回目の記念大会ということで話題です。
これだけの歴史を重ねたことで、いろんなメディアで「甲子園ウンチク」も盛んで、その中に「第1回大会は103年前の1915年。なのに今年は100回目。これまでの開催回数は99回なのに、優勝校は97校。」というのがあります。
開催回数が3回分少ないのは、太平洋戦争のために1942年~45年の3回分が飛んでいるからです。
(1941年の第27回の次が、1946年の第28回になります。)
これまでの優勝校数が2校足りないのは、1941年の第27回が地方大会は行われたものの日中戦争の余波で本番の全国大会が開催されなかったため、1918年の第4回が「米騒動」が関西に広がり危険であったため出場校は出揃ったものの中止となったためです。
ちなみに第4回大会の開催予定地は、甲子園球場ではなく鳴尾球場でした。

第4回大会が中止となった米騒動のうち、貿易関係のエピソードとして有名なのは、1918年8月12日に起こった「神戸・鈴木商店焼き打ち事件」でしょう。
当時、シベリア出兵決定を原因とした米価格の高騰は社会問題となっていました。
8月4日に富山で起こった米騒動は、またたく間に全国に広がり、10日を過ぎると関西でも軍隊が出動するほど、例えるなら「ほとんど戦争状態」と言ってもいい状況に。
そのような中、12日に神戸で起こった暴動では、群衆が鈴木商店本店、神戸新聞社を焼き打ちし、その後、鈴木商店社員寮、日本樟脳事務所、神戸製鋼所の米蔵、兵神館(家賃集金業)などを次々に焼き打ちしました。

鈴木商店は、日本の総合商社の源流ともいえる会社で、一時は日本のGNPの約一割に相当する16億円(大卒初任給70円の頃、現在の価値で50兆円)で日本一になるまで成長した会社です。
1927年の昭和大恐慌の余波を受けて破綻しましたが、その末裔となる商社が日商→日商岩井を経て今も残る巨大商社「双日」です。
鈴木商店が設立したりして系譜に連なる企業としては今も残る企業には、帝人(繊維)、神戸製鋼(製鉄)、IHI(旧 石川島播磨、重工業)、ダイセル(化学)、太平洋セメント(セメント)、サッポロビールとアサヒビール(酒造)、J-オイルミルズ(旧 豊年製油、食用油)、日本製粉(製粉)があり、現在の基本経済の基本を作ってきたことがわかります。

神戸の米騒動で襲われたのは上記のとおり、鈴木商店および鈴木商店の関係会社が多く、無秩序な群衆の暴動というよりも、まさに「鈴木商店グループが狙われた」暴動だと言えるでしょう。
というのも、当時、米価高騰の原因が「鈴木商店が米を買い占めている。価格の吊り上げを目論んでいる悪徳業者である。」という「噂」が流れたためです。
今ではこの「噂」は、大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行って米騒動を煽った「風評被害」であること、もっと言えば、「政争も絡んだ悪意のある扇動」であったというのが定説です。
そもそも、鈴木商店による米の買い占めの事実はなく、むしろ、鈴木商店はこの時期、ラングーン・サイゴン米や朝鮮米を積極的に輸入することによる米価調整を政府に具申し、実際に外米輸入によって米価安定に協力していたほどでした。
これらは城山三郎氏がこの事件を丹念に再調査して発表したノンフィクション小説「鼠」(1975年刊)で明らかにされたもので、事件後50年以上もたって鈴木商店の汚名は雪がれたと言えるでしょう。

今、焼き打ちされた鈴木商店本店の跡地には石碑が建っています。
以前、このブログで紹介した「乙仲通り」にも近いことですし、神戸観光の折に訪れてみるのはいかがでしょうか。(I)